3677の考え方自体がやはり見極めが足りないと思う
一時代をとかじゃなしに、これだけメーカーから様々な
特化と思わせる竿が出揃い、勿論その様な竿を所有し使って
みたけど、ピンの使用のみ有効でそれ以外では使えないとゆ
う現状、この釣りに何を求めるかじゃなく、この釣りは1ケ所
でする釣りじゃなく、様々な場面、様々な魚、フィールドにどこ
まで対応するか、出来るかが今も昔も問われる釣りだと言う事。
それをふまえた上で考えて欲しい。
安いモデルを買って何を見極めるかは知らないが、この釣りには
何が最低限必要なのかを見極めて選ぶとこの竿は今現在も最前で
対応できるという事。 そこがわからないで特化した竿の「特化」
は理解できるはずもないでしょう。
そもそも「特化」とは特定された場所のみの竿、基本設計とはかけ
離れた問題。良い竿の定義とは違う。それこそ宣伝、メディアの
策略も含んでの事、雷魚ロッドがバスロッド化をたどっている証拠。
確かに軽量も大事だが、本来ある程度のカバーでの釣り、軽量化に
よる「粘り」の減少化にともない特性の変化使いにくいとも思える
竿もある。
汎用性がある=使い易い これは当然な見解 これを中途半端はどうか
と思える。 これだけ色々なモデルが出揃ってもこの竿の良さが光るの
は新しい他のモデルがいかに条件を満たしてないのかが良く分かる。
要するに特化したモデル=汎用性がなく使いにくい=一部のマニア向け
が正しい図式だろう。
様々な新しいモデルに目を奪われ使用するのは良い事だが、真の見極めを
怠ってはいけない。この釣りを考えればおのずと分かるとゆう事。
それを踏まえたうえでこの竿は今も昔も変わらず名竿と呼ばれ続けていると思う。